新生涯ディストーション

趣味・自己満足・ご都合主義による好きな音楽の所感置き場です

母の好きなおじさん

 

今週もお疲れさまです。

 

昨日5月2日は、

HIDEさんと清志郎さんの命日で。

 

日本ロック界ではとても切ない日になって久しい。

 

2人とも、中高でたびたび(一方的に)助けてもらったまさにヒーローです。

そんな風に勝手に助けられてきた人がたくさんたくさんたくさんいるんだよな、

本物のヒーローですね。

 

 

で今日は、忌野清志郎についての思い出話です。

敬称略。

 

 

キヨシロー、RCサクセションが大好きな私の母(50代)のおかげで、

私の胎教はほとんどキヨシローの音楽でした。

 

母は結婚してからはライブに行ったことは無いようなのですが、

私が生まれてからもよく家でかかっていたので、

自我が芽生えた頃にはキヨシローの名前や音楽をいつの間にか知っていたような感じの出会い方でした。

 

というか、今でこそ思い返してちょっと驚きますが

母が「キヨシロー」って呼んでいたので、

 

なんか親戚?のおじさん?

的な感じかな?

 

って思ってたんですよね(小3くらいまで)。

 

そんなキヨシローが超カッコ良い本物のロックヒーローだったと実感したのは、

高校に入ってからでした(笑)

 

 

 

たくさんたくさん聴かされてきたキヨシローの曲の中で、

特に小さい頃の記憶が残っているのが

「ぼくの好きな先生」。

 

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これはキヨシローの高校の美術の先生のことだとか。

キヨシローの通っていた高校が都立日野高校っていうんだとか。

キヨシロー長女の名前がモモヨっていうんだとか。

 

母は、キヨシローについて私に熱く語ることはほとんどないのですが、

たまにぽろっと言っていたキヨシロー情報を思い返すと、

バンドファンに成長した今の自分と全然変わらなくて笑えてきます。

 

 

 

私が高校に入ってミッシェルとかを聴き出すと、

ライブで東名阪に遠征した話とか、

長年買い集めてきた雑誌のインタビューとか、

そんなことを以前より話してくれるように。

 

ヲタク特有の、

仲間だと分かると急に語り出す感じのやつですね。

 

こうして私は高校生になってやっと、

母がどれほどキヨシローが好きだったかを身をもって知ることができたのでした。(笑)

 

 

 

キヨシローが亡くなったのは私が10歳くらいの時だったと思うのですが、

亡くなったことが報道された日の母の様子が、ほとんど思い出せません。

 

どんな気持ちだったのかなー。

 

私も、好きなバンドマンより後に生まれている以上、

何か事故とか病気とかで先に死なない限りは、

好きな人たちの死を知るっていう状況が来る可能性があり。

 

どんな気持ちになるんだろう。

 

 

頭の中のイメージが真っ白になるほど、

想像つかないことの1つです。

 

 

 

キヨシローが亡くなってから少し後になって聞いたのは、

亡くなったことが報道される前の日の夜、

母が見た夢にキヨシローが出てきたという話でした。

 

夢の中のキヨシローは「スローバラード」を歌っていて、

朝起きた母は久し振りにスローバラードが聴きたくなったそうで。

そしてキヨシローが亡くなったことを知ったとき、

「最後にお別れに来たんだな」と思ったと、

この話をしてくれたことは、今でも結構はっきり覚えています。

 

 

普段夢とかファンタジックな話を一切しない人なので、

印象に残っていたのかも。

 

 

 

 

話は戻って「ぼくの好きな先生」なのですが、

そのモデルの先生と、キヨシローと、同じ高校に通っていた三浦友和の写真がありました。

 

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曲のイメージに違わない、

口数の少なさそうなおじさんだなあ。

 

今でも大好きな曲ですが、小さい頃は子供心に

キヨシローと、キヨシローの好きな先生と、キヨシローを好きな母という3人の大人があたたかく思えたような。気がします。

 

あとはきっとカズーとか楽器の呑気な音とのんびりした声とかが、好きだったのかなー。

 

 

 

身近にいつの間にか居たおじさんの、

いつの間にか耳に入っていた音楽でした。

 

改めて今聴いたら、

そんな感じでいろいろ思い出しています。

 

 

一応連休中ですが、来週も頑張ってまいりましょ。