神様について 〜夜に咲く花編〜
今週もお疲れさまです。
12月も13日!!早い!!
↑去年の今頃の記事なんですけど、
アベさんの誕生日が近かったので大好きな「サニー・サイド・リバー」の話をしていました。
今年ももうじき16日だ。
早い話が、今回もミッシェルの曲について書こうと思います。
選曲、今年も迷ったのですが
「エレクトリック・サーカス」
にしますね。
ミッシェル最後のシングルということで、
聴くには結構心してかからないとコテンパンにやられるので、
単純に聴いてる回数も少ない曲ではあるのですが……
今回は私とミッシェルの終わりの話をつらつら書こうと思います。
「私と」って入れたんですけど、深い意味はなく、
私がミッシェルを知って好きになったのがとっくに解散した後だったので、
世界とミッシェルの終わりはとっくに来てたけど、
というようなニュアンスを込めてみました(笑)
で「終わりの話」っていうのは、
結論からいうと「終わらなかった」っていう話なんですけど、
????(笑)
いやすいません。
今日の文章がなんだか回りくどいことを先にお詫びしておきます、
さっさと話に入ろう!!
私がミッシェルに落ちた高校2年の夏から4、5ヶ月くらいの間、
とにかくミッシェルについて調べ、曲を聴き、映像を見て、
ひたすらミッシェル濃度の濃い数ヶ月を過ごしました。
人によるけど中高生ってそれの繰り返しみたいなところありますよね……
青春黒歴史ともに量産するシーズンですね、まあ今もだけど
ミッシェルがメジャーデビューしてから解散するまでの約7年間の活動を凝縮して一気に吸収したような数ヶ月を経て、
その年の冬に私もついにミッシェルの解散に到達しました。
アルバムは一通り聴いてたし、ラストライブの最後の曲の映像も見たりしていたんだけど、
この最後のシングルだけは先送ってたんですよね……
「絶対カッコ良いんだろうな、でもこれが最後なんだな~」
と思いながら「なんか特別なときに解禁しよう」という謎の意識により、
数ヶ月聴くことなく寝かせてきたエレクトリック・サーカスなのです(笑)
どうして12月頃になってミッシェルの解散と向き合うモードになったのかは、ハッキリ覚えてないんですけど、
アルバムを聴き比べたり、インタビュー収集したり、
リアルタイムで聴いてたファンの感想を読んだりしていくうちに、
「マジでなんで今いないの……?」
っていうやりきれなさに勝手に溺れてた冬だったことは覚えています(笑)
チバさんの変化だったり、アベさんが音楽やめて亡くなる前はペンキ屋やってた話だったりに対して、
「こんなすごい曲を、もう二度とライブでやることないのってもうなんか曲に対してのある種の罪だろ……」
みたいに思ってて(厄介な後追いファンだな)、
そういう勝手な切ない気持ちへの何かしらの答えが欲しいと思ってたんですよね。
で、答えがここにあるはずだ!と思ってたのがエレクトリック・サーカスと
「音楽と人(2003年12月号)」でした。
後者はミッシェルのラストツアーを最後の最後までがっっつり拾い上げて付きまとった(褒めてます)特集で、
後追いの私はこれが当時の終わりの全貌なんだろう、と思っていました。
確かその凝縮の4、5ヶ月の間に古本屋で見つけて買ったんですけど、
先述のような意識ゆえにこれも鍵をかけ、
解禁のときが来たら読もう、と思って寝かせていました(笑)
そんな重たいパンドラをついに解禁したときの感想なんですが、
簡潔には言葉にできないモヤッッッとした感じで、
「これで終わりなんか……?」
と不完全燃焼、深いため息……(笑)
この音楽と人、とにかく読んでて苦しくなるほどの重てえライブレポがてんこ盛り状態で、
リアルタイムの終わりの空気はほぼここに閉じ込めることに成功してるんじゃないかなーと(根拠はないですが)思うような内容です。
(なので苦しいけど大切でめっちゃ好きな号です、好きな人は買って損はない)
それって今思えば、
当時の皆さんも「これで終わりなんか……」って思いで、答えなんかなかったってことなんだろうな。
読んだときはもう「えっ……私はこれからどこへ行けばいいんだ……」って途方に暮れたもんですが、
冷静に考えればそんなん知らんがなって感じだよな……(笑)
音楽と人を読むのとエレクトリック・サーカスを初めて聴くのと、
どっちが先だったかは覚えてないですが、
セットで解禁したので一気に途方に暮れたなーあのときは……
っていう思い出の曲です。
感想ってか思い入れのターン長……
イントロから心が握りつぶされる……
歌詞も全部苦しい。
すんごいカッコ良いサウンドなんですけどね。如何せん苦しすぎるな。
初めて聴いたときも今も、変わらず哀しくなります。
なんですが、今年個人的新事実を知りまして!!
タイトルの「エレクトリック・サーカス」についてなんですが、
イギリスはマンチェスターに「エレクトリックサーカス」というライブハウスがあったそうなのです!
これ常識だったのかな?私は今年初めて知ったんですが!
なんでも、マンチェスターの中でも廃墟地区みたいなところにあったパンク系のライブハウスで、
それも1年も続かないうちになくなってしまったらしく。
でもそんな短い期間にもUKパンクの美味しいバンドがずらずら出てたみたいで、
ピストルズとかジャムクラッシュダムドジョニサン、などなどのラインナップを見る限り、
やっぱり多かれ少なかれ意識してここから持ってきたワードなんじゃないかな……
マンチェスターといえば、
労働者階級とロックバンド(あとサッカー)のなんていうか荒くれてる()印象が強いです、
最近個人的にオアシスが再燃しているので、
以前よりもマンチェ知識を蓄えられたのはなかなかの副産物だったな(この情報もオアシスのこと調べてて知りました)。
太字にすることではないんですけど、
そんなオアシスにも表れてるような生活苦しいゆえの社会へのムカつきとか、
暗い(イメージに留まります)街の雰囲気の中で、
サッカーをフーリガン的に応援するかバンドやるかくらいの娯楽で(イメージに留まります)、
そういう街に、危うく眩しく光るライブハウスがエレクトリックサーカスだったのかな、
というとこまで想像できました。
《昼間の街は平らな庭で 夜になってから花が咲く》
今までよりも歌詞の解像度が上がってちょっと驚きました。
別にそのライブハウスを知らなくても十分ミッシェル世界に溺れる言葉選びなんだけど、
最後の最後にやっぱりメンバーが好きなUKパンクの憧れ的な景色を持ってきていたのかも、と思ったら、
数年越しに終わりの答えの一部を見つけた気もします、
気がするだけなんですけど。
ザラついて埃っぽい世間はずっと暗くて、
つまんなくて平らな庭で、
逃げ出そうとしてみたらサイレンにクラクションが鳴って追いかけられたりとかして、
そんな中に、夜だけ光る鮮やかなライブハウスが現れて、
結局それもあっという間になくなってしまったけど、
また昼間の街に戻されて「はじめからそんなのわかってた」と言うんだけど、
……この先をどうイメージするかがちょっと難しく、切なく、そもそも野暮でもあるところですね。
オアシスがそうだったみたいに、
暗さの中でも当然に生きていくし続いていくんだろうな。
光が見えなくなったから絶望して諦める、とかじゃない生き強さみたいなものが、
マンチェスターが纏う空気っていうイメージなので。
そこまで意識してるかは知らないけど、
ミッシェルもそう思ってたというか望んでたのかな、
とまで言うと言い過ぎかもしれないけど。
でもとにかく、
ミッシェルの7年間は本人たちにとってもファンにとっても「夜」であって「エレクトリックサーカス」だったんだろうなー。
そう思うとちょっとだけ苦しさが軽くなるような、
でもやっぱり切なくはなるんですけど……
で 何の話でしたかね……
すいません(爆)
あ、終わりのパンドラを開けたら終わりがなかったよっていう話でしたね。
まあそんなすっぱり何かが終わるってことは実はそんなになくて、
生活は続いていくし新しい何かが発生したりするし、
そういうことの1つだったんだろうなと。思います。
無理やり!!
そんでさらに、
終わるどころか始まって増え始めた、っていう話もあって。
私がそうやって終わりを解禁して途方に暮れた頃、
その時期に初めてライブハウスに行って生でライブを見るんですけど、
っていう話も併せて書こうかと思ったけど
長いので終えます(笑)
私とライブハウスの始まりの話も、
もうなんかツイッターとかに留めろよっていうレベルになるので、
まあそれもいつかどこかで自分語りする機会にしよう。
駄長文にお付き合いくださった方がいたらありがとうございます。
アベフトシに関係ねーじゃん!ってツッコミには本当すみません。
でも思い出したようにこの曲を聴いてくれる人がいたらそれでじゅうぶん。(濁し方が雑)
来週も頑張ってまいりましょう。
アベさん54歳の誕生日おめでとうございます。
※私が「エレクトリックサーカス」を知った、マンチェスターについてのネット記事置いときます。
私のマンチェ像はこの記事とギャラガー兄弟の言動が9割で構成されてます。
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