焦燥
先日GLIM SPANKYの最新曲について少し書きましたがそのつながりで、彼らと彼らのデビュー曲について書きたいと思います。
「焦燥」
2015年リリースのメジャーデビューミニアルバムのタイトルであり、表題曲でもある「焦燥」は、彼らが世に出るきっかけとなった「閃光ライオット」で演奏した曲。
閃光ライオット2009のCDも出ており、当時の「焦燥」も入ってます。
なんか異常に感動するので是非。
実はYouTubeでは、彼らの閃光ライオットでの演奏が見られます(2018年2月現在)。リンクは貼りませんが気になった方探してみてください。
閃光バージョンとメジャーデビューミニアルバム収録のバージョンとではかなり、音作り・曲の構成が異なります。どっちも良さがあるのですが。
閃光バージョンは若さ青さがヒリヒリしています。まさに、投げ捨てようのない焦燥感を抱えてあてもなく走っているような空気が迫ってくる。
亀本少年のリードギターのフレーズがギラギラゆらゆらしていて格好良いし、
高校生の頃から、こんな素敵な声だったんだなあ。
こんな高校生が田舎でジリジリしながら曲をつくって演奏していたかと思うと、興奮します……。
17歳でつくった3、4曲目のオリジナル曲らしい。
そして、メジャーデビューバージョン。
いしわたり淳治氏のプロデュースで、一気にブルージーで重厚感が増してます。若手邦ロックバンドの中でも群を抜いてカッコいい。声の良さもより引き立てられているような。
しかし、閃光バージョンとメジャーデビューバージョンで決定的に違う箇所が、音以外にもうひとつ。
両方のバージョンでほぼ変わらない歌詞ですが、しかしサビだ。
「苦しい今に慣れた僕らは
真実はどこにもあるって事を知ってる」
この曲の中で、一際きらめくフレーズ。
僕らは矛盾を盾にした大人に苛立ちながら、「真実はどこにもある」と言う。それを知っていると。苦しい今に慣れたから。
普通なら、苦しい今に慣れたら真実なんて見つからなくて、そんな世界に嘆いてしまうところだけど。ここが一線を画しているポイントのような気がします。
しかし。
閃光バージョンでは決定的に違うんですここが!
(めっちゃ勿体ぶってます)
両バージョンとも「苦しい今に~」のフレーズは曲中3回出てくるのですが、比較してみると
(閃光バージョン)
・苦しい今に生きる僕らは 真実はどこにもないって事を知ってる
・苦しい今に生きる僕らは 真実はどこにもあるって事を知ってる
・苦しい今に生きる僕らは 真実はどこにもないって事を知ってる
(メジャーデビューバージョン)
・苦しい今に慣れた僕らは 真実はどこにもあるって事を知ってる
・苦しい今に慣れた僕らは 真実は確かにあるってことを知ってる
・苦しい今に慣れた僕らは 真実はどこにもあるって事を知ってる
なんと。
真実はどこにもなかったのか。
閃光バージョンでは、もう揺らいでる揺らいでる。
どこにもないのかあるのか。どっちなんだ。けれどそれこそが焦燥感。
それとも、「ある」真実と「ない」真実、2種類を歌ってるのかな?
都合のいい真実と都合のよくない真実とか。
そこまではまあわかりませんが、メジャーデビューバージョンでは一切揺らがずむしろ確かになっちゃってる。
確かにあって、どこにもある。苦しい今に慣れた僕らはそれを知っているのだと。
これはいしわたり氏のプロデュースによる産物なのではないでしょうか。
作詞家のいしわたりさんならきっと、この青く危うい焦燥感溢れる歌詞に手を出したくなるはず(この記事の大部分は私の思い込みによります)。
勿論、レミさんも17歳当時とは思うところが変わってきたのだと思いますが、いしわたりさんの作詞センスは本当に国が傾くレベルだなー。
いしわたりさんプロデュースというと、
「それって所詮ポピュラー音楽であってロックじゃなくね」
っていう人もいますが、
個人的にはあんまり関係ない気がします。
そう言う人が求めて認めてるロックの幅が狭いだけで、多くの人に刺さるように計算して洗練された音楽だってロックなものはあると思うのです。
(煽り文みたいになっちゃった…違います……)
そんなわけで、いしわたりさんとやり始めてからグリムはさらに良くなってると思います。
懐が深くなったというか、ざらついてるけど深みも増してる。
長くなりましたが、「焦燥」はこんな曲なのです。
グリムの青い日々と、二通りの焦燥感が刻まれた泥沼級にカッコいい1曲。
閃光バージョンとメジャーバージョン、
2パターン交互に聴けば無限ループ待った無し。
まだまだ若い彼らですが、これからが楽しみで仕方ないのです。
聴いたことがない人はとりあえず1回聴いてみてください!
お願いだから!(笑)